1日は我らが天使リーダーのお誕生日でしたし、えぷのカムバックのteaserがどんどん流れてきてすっばらしいし楽しみだし、今年も半分過ぎたし、楽しいことを書きたいと思っていましたが、日本という国の立憲主義がアベシンゾーと
愉快な仲間たち主権在民を(意図的に)忘れた傲慢な政治家たちにより蹂躙されるというあまりに重たい出来事があったので、そちらを優先します。
「集団的自衛権の行使等を容認する閣議決定」が7月1日、19人の閣僚によってなされ、これにより日本は「憲法解釈をときの政府が思いつきで変えられる国」と世界に認識されることになりました。ここから「憲法じたいがときの政府の思いつきで変えられる国」へのハードルはとても低いものでしょう。
自民党でたった一人、集団的自衛権に対して異議を唱えていた
村上誠一郎議員の外国人記者クラブでの会見が、とてもわかりやすくこの閣議決定の問題点を説明しているので、何が問題なのかわからない方はこれを一通りさっと読まれるといいと思います。
一部引用。
…立憲主義とは国家の役割は個人の権利や自由の保障にあると定義した上で、憲法によって国家権力の行動を厳格に制約するという考えで、日本国憲法の基本原理だと考えています。1930年代にドイツにおいてナチスが全権委任法を議会で通すことによって民主的なワイマール憲法を自主的に葬り去った歴史があります。
安倍さんは憲法は不磨の大典だとおっしゃっていますが、私は主権在民、平和主義、基本的人権の尊重は変えてはならないものだと考えています。もしこのような方法で突破することがされたとすれば、いつか主権在民や基本的人権の尊重まで侵される危険があると心配しています。このように憲法の基本原則が機能しなくなり、憲法が有名無実化されたら、私は立憲主義が崩壊する危険性があると心配しております。
年いった護憲派の人たちは死んじゃったし、もういまの自民党にはこんなまっとうなことを当たり前に言える人ってもういないと思ってたよ…絶滅危惧種だよ…。私自民党は支持してないのですが、愛媛二区の方々はよい政治家を選ばれたと思いますよ、尊敬しますよ。杉並区なんか区長選挙の投票率3割切ってんですよ。しかもトンデモ元幕僚長たもがみさんが熱心に支持する極右候補が次点ですよ。さすが消滅自治体候補って感じでめまいがしました。
話はずれましたが、きわめてまっとうな話です。この方尖閣は石原が焚き付けて野田が火をおこしちゃった話だ、ということとか、小選挙区制の批判まできっちり全部言っておられます。全然経歴とか存じ上げませんが、とにもかくにもアベシンゾーと
愉快な仲間たちヤンキー友だちの数十倍は学校でまともに勉強してきたひとなんだろうと思う。だって、正論しか言ってないもの。
日弁連会長声明。ここに書いてあることは上で村上議員が言ってることを難しく書いてあるだけですが、
「日本が集団的自衛権を行使すると、日本が他国間の戦争において中立国から交戦国になるとともに、国際法上、日本国内全ての自衛隊の基地や施設が軍事目標となり、軍事目標に対する攻撃に伴う民間への被害も生じうる。
集団的自衛権の行使等を容認する本閣議決定は、立憲主義と恒久平和主義に反し、違憲である。かかる閣議決定に基づいた自衛隊法等の法改正も許されるものではない。」
という部分に無理解な方が多いのでこれもリンクは貼っておきます。日本人が「被害」にあうことばっかり考える人が多いですが、殺される側の国民からすれば「加害者」として戦闘に参加することを否定しない国になるということは、「日本人だから」と言う理由で殺される人が増えるということを意味します。在外邦人の安全を脅かすのは、むしろ安倍政権のこのような姿勢であり、「こんなに簡単に言い分を変える国なんか何言っても信用できないんじゃないの」という不安を煽り不信感を植えつけ結果的に反感を持たせているのも安倍首相のほうです。そうやって他国を焚き付けておいて「冷静な対応を」とか言っちゃうのって、どんなマッチポンプだよって感じね。
こんな調子でアベシンゾーは中国だ北朝鮮だ韓国だとアジアの隣国についての「脅威」を誇張して無知な大衆を煽りたててセミナー商法で布団売りつけるようなことをやってますが、この解釈変更の本質は、ぶっちゃけ「アメリカの戦争に日本が兵隊を出す」だと思いますよ。経済的な問題もありますし、アメリカが今中国とことを構えなくないのなんか明々白々で、そこで無意味にいきがるアベシンゾーがたまにお灸すえられてるのはそのせいです。とくに経済上の問題から外交的重要性が高い国とわざわざ戦争したい国なんかそうそうあるものではありません。
むしろ問題は中東だと思ってます。
日本のテレビのニュースはほっとんど海外ニュース流さないのでよほど意識して見ないとアメリカ以外のニュースなんて耳に入ってきませんが、今中東は再び反欧米のイスラム過激派組織
イラク・シリア・イスラム国(ISIS)はもうイラクの中部とシリア北部あたりをほとんど制圧してるんですよ。911のあとのイラク戦争における
米軍の死者数は4500名ぐらい(慶應義塾大学 経済学部 延近充先生ページ)。そもそも開戦の口実となった大量破壊兵器も見つからず、国民の厭戦気分が高まった。だから、またあっちのほうに兵隊を出すということに関して、選挙のことなども考えるとアメリカ(オバマ)は慎重にならざるを得ない。だけど、アメリカはユダヤ人ロビイストの力がすごいので、イスラエルと中東問題を無視して放っておくわけにもいかない。
だからこそ、アベシンゾーも急いだのだと思いますよ。自衛隊海外派兵+武器使用の実績をつくるチャンスが目の前に転がってるから。もろにあの最前線じゃないにしても、想定される派兵地域はおそらく中東かアフリカではないでしょうか。アメリカが、自国の国内世論からあんまりたくさん自国の兵隊を送り込みたくないところ。
ベトナムにせよ中東にせよ、イデオロギーとか宗教が絡んでる戦争は泥沼化しやすくて、無駄にたくさん人命が失われるというのをアメリカ国民もさんざん経験している。いっぺん手を出してしまうとそう簡単には撤兵できないっていうのもわかってる。そういう台所事情があるわけだから、「今すぐ日本の近くで戦争が始まることなんてあり得ないからあくまで『何かあったとき助けてもらえる安心のための保険』みたいな変更でしょ」と思ってる人は楽観的すぎると思いますね。「なにかあったらいつでもアメリカが助けてくれる」という信仰も含めてナイーブすぎると思います。国際社会では自国の利益にならないことはあんまりやりません。それは別にそういう国が悪いとか不義理とかそういうことではなくて、そういうものだから。
さっきのリンク先に同じ戦争での韓国兵の死者数が出てますが、あんな小さい国で3,600人も死んでるんですよ。韓国の人口5000万ぐらいで、日本は1億2千万人ですけど、その割合で考えると7〜8千人の若者が死んだ計算です。阪神淡路大震災での死者数が6,400人ぐらい。そのぐらいの規模で若者が死んだってこと。これが他人事じゃなくなるということですよ。それでなくても少子化で働き手がおらんとか言ってるときにですよ。
アメリカは中東からは手を引けないけれど、アジアにはあんまりかかわりたくないんじゃないかと思います。もう昔のアメリカみたいな力はないわけで。日本が米軍駐留反対、軍隊を持つと言うならどうぞどうぞ、あと自分でやってね、になるでしょう。このあたりは戦後左翼のジレンマ、戦争はやらないと言いながら米軍の傘の下にい続けることで攻撃されずにきた、という事実をどう清算するのか、とかいう話にもなってくるんだろうと思うので、色々と複雑ですが。でも、そういうのをペンディングにしておけた時代から、どうするか選ばなきゃならない時代に突入したってことでしょうつまり。
以前私が安倍内閣批判の記事をあげたときに、世界的潮流として徴兵制度は流行らなくなっているから日本が徴兵なんかやるわけないとコメントしてきた方がいましたが、冷戦終了後の人権・民主主義の世界的潮流に全然乗り切れていないどころか逆らってみせたりもして国連人権委員会に叱られてるのが日本だし、その先頭に立って、よちよち歩きながらも成長してきた日本の民主主義を100年ぐらい後退させるようなファシスト政索をやってるのが安倍自民なので、そこで「世界の常識」的なことを言われてもあんまり説得力ないと思います。世界の常識に沿ったことをやっててくれればもう少し安心してみてられますよ。でもどの政索も、時代に逆行もはなはだしいじゃない。情報公開の時代の流れに逆らって秘密保護法とか。あれ決めたときも違憲もいいとこだったよな今回と同じで。
そして今政府が若年層の雇用問題や貧困問題についておよそ真面目に取り組んでないことは、経済的徴兵をたやすくするための下地づくりみたいなところもたぶんあるでしょう。「志願」という形をとらせつつ実際には経済的な理由で兵士になる若者を増やすのね。延々続く福島原発で作業員不足の問題も起きてるので、そういうところでも使いたいわけでしょう。とにかく、経済的徴兵という話でいえば、アメリカなんかあれですよ、大学いく学費出してやるけど、終わったら兵隊いけみたいなプログラムあるわけですよ。日本でも前の戦争のときも、貧しい田舎の農家から徴兵されて戦争いったような人たちはね、案外軍隊生活に対して悪い印象がなかったりするんですよね。軍隊に入って、生まれてはじめて学歴で差別されなかった、三食きちんと飯が出た、みたいなことで初めて居場所を見つけちゃう人とかいたんだね。逆に、そこで死んで、本当の意味での口減らしさせられちゃう人もいた。貧困層を長く養うのは社会的に高くつく、だから〓んでくれればそれはそれで都合いい、という国の(まともに口には出しづらい)都合もあるわけですよ怖いけど。
今安倍自民を熱狂的に支持している若い人たちの中にも、貧しく、学歴が低く、そうした「搾取される側」に属している人が多いように見えます。無知と自身の未来像が描けない生活(それをそうと本人が意識していなくてもです)からくる反知性主義や排他性、攻撃性、またそこまで極端でない場合にも、飼いならされた大人たちの保身のための全体主義肯定もまた、安倍自民の推し進める反知性主義や歪んだナショナリズムと親和性が高いのでしょう。でも、ことがあれば最初に死地に追いやられるのもそうした命の価値の相対的な軽さを国家から押し付けられた人たちです。本当はどの人の命だって重く大切なものなのに。でも現地に行かされるのはそういう人たちで、でっぷりと肥えた政治家じゃないんですよ。
私は6月30日の夜、仕事のあとに官邸前に少しだけ行ってきたんですけども、そこに高揚感なんかなくて、立憲主義のお通夜みたいな気分を味わいました。主催者発表で4万人とか言ってましたが、それたかだか東京ドーム一杯程度です。東京の有権者数の10分の一にもならないんです。もちろん大勢の人がいて、車道にもあふれていましたよ。メガホン、鳴り物、大声のシュプレヒコールもあったし、自転車で平和Tシャツを身に着けた若い人たちが何人も車道を走っていました。でも私にはとても大人しく、影響力のない集会に見えました。客観的に見て、です。
ツイッターとかだとすごい大勢だとはしゃいでる人も多かったですが、でも正直私は「明日の閣議決定は決まりだろうな」と思ってました。4万人なんか政府からしたら選挙に影響を与える数字ではありません。屁でもない数です。台湾で学生が議会占拠したようなのとは社会全体の共感や熱量が違います。それほどまでに国民は分断されているし、明日日本の立憲主義は殺されて、私にはとりあえず今夜この場所にいて異議を唱えた、というアリバイしか残らないだろう、彼らの暴挙を止めることはできないだろう、と思いながらその場にいました。そして、見たところ、おそらく同じような思いの、デモだの集会だの、一度も来たことがないであろう物静かな人たちの姿が、とても多く見られました。
これは、脱原発とかのゴリゴリ左翼エコ系の集会とかだとあんまりない光景だと思います。これで何かが変わると信じられるほどナイーブではないし、こんなことでは何一つ変えられず国家の民主主義に対する暴力は止められないという現実もさんざん見てきた、でも、何もせずにはいられなかった、という人たちが、大勢いたんだと思います。私のような会社員から、学生風、制服の女子高生なんかもいましたよ。大江健三郎呼びかけの脱原発集会なんか、もうやばいぐらいお爺さんお婆さんだらけでしたからね。それに比較すると、若い人がとても多かった。だって、ことが起きれば最初に連れていかれるのは若者です。自分たちには関係ないと思って威勢ばかりいい年寄りとは違う切迫感があるのでしょう。それもまた切なかった。いま若者は日本の中では少数派です。10代には選挙権すらありません。なのに、このような暴挙の結果を引き受けさせられるのは若者です。
私の目の前にはスーツを着たサラリーマン風の男性がいて、いかにもこんなところに来るのは生まれてはじめて、といった風情で、居心地悪そうにおどおどと周囲を見回していましたが、そのうち、元気な若い女の子たちのシュプレヒコールにあわせて、安倍は辞めろ、憲法を守れ、と口を動かしている様子が見えました。大声で叫んだりなんかできないけれど、来ずにはいられなかったのだろうと。私と同じで男の子の父親だったりするのだろうか、とか色んなことを考えました。ちょっと勇気を出して話しかけてみたらよかったなと思ってます。
本当に帰る道々、ものすごい無力感を感じてたんですが、でもこういう風になって、何かに抗うこともやめてしまったら敵の思う壺なんだろうなーと思いました。閣議決定がなされてしまった今になって何ができるのかは正直わかりませんが、正しくないと思うことに対して否と唱えることはやめたら、そこで終わるのでしょう。こういう場合の「中立的な態度」というものは、施政者の利益にしかならないので結果的に中立にはなりません。ときに間違えることがあるとしても、個として自分の意見を持ち、そのことを表明することを諦めないことも、人の自由と幸福追求の権利を守るために必要な闘いのひとつなのだろうと思います。