2006年04月28日

『美しき運命の傷痕』…キェシロフスキとの再会

最近の見たい映画リストの筆頭だった映画です。巨匠クシシュトフ・キェシロフスキの遺稿が、若き監督タノヴィッチの手でよみがえりました。

美しき運命の傷痕】…公式HP。主演のエマニュアル・ベアールや監督のインタビューもあり。

とにかく、10年目の再会です。キェシロフスキが亡くなったのは96年のこと。どんなに待ち望んでも、もうキェシロフスキの新作は観られないのだ。それは86年にアンドレイ・タルコフスキーが亡くなったときと同じぐらいの喪失感でした。タルコフスキーよりもっとすごい喪失感だったかな。だってやっぱり、タルコフスキーを観ていたのは背伸びでしたから。観始めたころはもう古典で巨匠だったし。

キェシロフスキは、もっと同時代の監督で、新作を待つ楽しみがありました。けれど時代が彼に追いつき始めたときに、まるで彼自身の映画の中の乾いたアイロニーのように、あっけなく逝ってしまった、そんな天才監督でした。

生前にキェシロフスキがダンテの「神曲」をモチーフに構想していた三部作のシノプシスを元に作られたこの映画の原題は「地獄」。冒頭から重苦しい音楽が流れ、万華鏡のようなセピア色の世界の中に、托卵するカッコウの姿が浮かび上がります。卵から生まれたヒナは、もともとの住人である仮親の卵を、次々と地面に落としてゆきます。托卵する鳥の子は、こうして仮親からの餌を独り占めするのです。

しかし、次の瞬間、卵を落とそうとしていたヒナはその勢いのまま、巣から転げ落ちてしまいます。運命は、そのヒナを殺そうとするのです。

ところがそこへ、ひとりの男が現れて、ヒナを両手で包み巣へと戻してやるのです。この男が三姉妹とその母親の運命のすべてを狂わせる、しかし罪のない父親なのです。

やがてヒナは本来親から餌を受け取るべき他の卵たちを押しのけて、仮親の庇護のもと、やがて大きく育って飛び去っていくでしょう。全く何の悪気もない男の優しさが、本来庇護されるべき親鳥の卵たちを殺させ、死ぬべき運命にあったカッコウのヒナを生き延びさせるという皮肉な結果を導き出す。このファーストシーンに仕掛けられた罠は、三姉妹のトラウマが明らかとなる中盤のクライマックスに繋がっており、そこへ至るまでの息詰まるようなストーリー展開は、もう見事としか言いようがありません。

それぞれに、上手くいかない不倫の恋や夫婦生活に傷つき、求めることによって逆に喪失していく三女アンヌ、そして長女のソフィ。自己主張の強い彼女たちとは対照的に、何事にも控えめな次女、セリーヌだけが、言葉を失い足も動かない母親のいる施設を定期的に訪れています。彼女の前に現れた謎の男セバスチャンこそが、すべての運命の歯車を狂わせた、三姉妹とその母親の過去への扉の鍵なのですが…。

ばらばらに暮らす三姉妹とその母。家族は何故崩壊したのか。美しい末娘のアンヌは何故、挑発的なミニスカートをまとい、同級生の父親でもある教師に激しく恋をするのか。浮気した夫を締め出すソフィが、ドアに箪笥を押し付けて塞ぎ、頑として夫を子供たちにあわせまいとするのは何故か。自分だけの小さな世界に閉じこもる心優しいセリーヌは、常に何に怯えているのか。『母親は、何故自らの夫を告発したのか。』

あらゆる運命のモチーフは繰り返され重層的な音楽を奏でるかのようです。たった一つのボタンの掛け違えが、ドミノ倒しのように家族とその周辺の人々の人生を狂わせて行く。その皮肉を、映画はギリシア悲劇のコロスの大合唱のように、小さなエピソードを積み重ねながら突きつけてきます。

ラストシーン。長い時間を経て邂逅のときを迎える母と三人の娘たちは、果たして赦しあうことができるのでしょうか?公式HPには「愛と再生の物語」の文字が躍っています。しかし、この映画が描いているのは、やはり原題のとおり、「地獄」の世界だと思います。何故なら言葉を失った母親に象徴されるように、彼女たちの間を支配するのは沈黙だからです。

沈黙の世界に、一筋の光をもたらすのは、最も受動的な次女のセリーヌです。それゆえにその光はとても弱弱しく、淡いものです。

Je ne regrette rien. <<私は何ひとつ後悔していない>>

沈黙を破る母親の言葉=メモは、新たな沈黙を生むのか、あるいはその地獄から抜け出す一歩となるのか。その答えは明快にされることなく、映画は終わります。

母親の手でふさがれる幼いセリーヌの瞳、閉じられた扉、アンヌの前を走り去る車、ヒナを抱え込む母鳥のように二人の子供を抱きしめるソフィのしぐさ。あらゆるモチーフは母の沈黙に繋がり、その沈黙という地獄の中に娘たちは捉えられています。けれど終章において、同じ電車に乗り母の元を訪れる娘たちは、互いに見交わして微笑みあい、長い髪を切りパンツルックに身を包むアンヌの表情も、部屋の壁を白く塗りなおしたソフィの表情も、どこか晴れやかに見えます。

深いところに受けた傷は、肌の表面を切り開いて消毒しなくちゃ治らない。覆い隠しても内側の出血は止まらない。

母親が身を挺してそこから守ろうとした『悪』の正体を知ることで、娘たちは一定の自由を得ます。誰を責めることもできない、ただヒトの弱さ・脆さというものが、ヒトの運命を狂わせる。そのことの皮肉をこれでもかと描き続けながら、しかしヒトの心を救うのもまたヒトの弱さそのものなのだと、この物語は語りかけているかのようです。

うー、もう上手くかけません。観て!としかいえないような映画なんですよ。主演の三姉妹と母親の演技が素晴らしいことだけでなく、その女たちを取り巻く、ふがいない男たちを演じる若手・ベテランの男優陣の演技も素晴らしい。そしてキェシロフスキのファンなら大喜びする「瓶を捨てるおばあさん」もしっかり出てきたりして、監督のマニアっぷりが伺えます。

ただね、キェシロフスキが撮ったら、たぶんもっと違うものになっていたと思うのです。全く同じ台詞の脚本であったとしてもね。

もちろんこの映画も素晴らしい。こんな若い監督が撮ったとは思えない。でもキェシロフスキが撮ったとしたら、おそらくこの映画はもっともっと、剃刀のように切り裂く重い痛みと滑稽な優しさの両立する映画になったんじゃないかと思う。

どうも本作は、重みのほうに傾きすぎたきらいはあります。キェシロフスキが描いたとしたら、たとえば、『偶然』のように。たとえば『デカローグ』の第一話のように。悲しみの中に軽やかさがあり痛みの中に優しさと救済があり、そして救いようのない運命の皮肉がある、そんな映画になったんじゃないかなって。やっぱり思ってしまうのです。

やっぱ旧作が観たい。

キェシロフスキ・コレクションI プレミアムBOX

トリコロールもいいですが、初期のほうが特に好きです。ああ、キェシロフスキ万歳。





posted by なつめ at 01:33| Comment(4) | TrackBack(2) | 映画のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「美しき運命の傷痕」を観た!
ちょっと難しい映画でした。
トラックバックさせていただきます。
よろしくお願いします。
Posted by tonton3 at 2006年05月08日 13:08
tonton3さま、いらっしゃいませ。確かに難解ですが、すさまじく美しい映画でしたね。若い監督が撮ったとは思えない重厚さで。キェシロフスキの旧作も、是非見てください!
Posted by なつめ at 2006年05月08日 23:29
こんにちはー。
とても読みごたえのあるレヴューでした。
カッコウのヒナの解釈も自分は曖昧に捉えていたので、一歩深まりました。
キェシロフスキ自身の監督作品はもっとサラッとした肌触りがありますよね。
ああ、ホントに、キェシロフスキバージョンも観てみたかったですー。
煉獄は誰が監督するのでしょうー。
Posted by かえる at 2006年05月11日 15:15
かえるさま:
いらっしゃいませ♪書き込みありがとうございました。なんかぐだぐだのまとまらないレビューですみません…。それにしても本当に、キェシロフスキバージョン、観てみたかったですよねぇ〜。煉獄、どうでしょう。アキ・カウリスマキとか。いやこの際ゴダールとか。それはそれで、イロイロ夢想したくなります。
Posted by なつめ at 2006年05月12日 01:23
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