2006年05月15日

『われに五月を』寺山修司作品集

五月になるとこのフレーズが頭の中を駆け巡る。

きらめく季節に
たれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ

二十才 僕は五月に誕生した

『五月の詩・序詞』から(寺山修司


なのになんたること。私の持っている思潮社版の『われに五月を』は、どうやら現在、入手困難らしいです。っていうか、なんたること。ハルキ文庫版も日本図書センター版も絶版なのか?この名作を!

というわけで、古本で見つけたら是非ご購入ください。自分が持っているので、思潮社版をお薦めします。
寺山修司が死んだ年、なつめママは小学生でした。でも、寺山修司が死んだというニュースは覚えています。おそらくは、ひとつには寺山修司が死んだ病院が、なつめの通っていた教会学校のすぐ近くにある、河北総合病院(当時はなんだか薄暗い病院で、「かわきた」をもじって「死に来た」病院、などと呼ばれたりしていました。今は改装されて、すっかり小奇麗な総合病院になっています。)だったこと。もうひとつには、ニュースとして流れた、白塗りの人たちが泣きながらうごめく映像が…今思えば、寺山が主催していた演劇実験室・天井桟敷の解散のニュースだったのでしょうが…子供にとってはすごいインパクトがあったからではないかと思われます。

寺山修司が死んだ。そのことの意味を、理解できる年齢ではなかったし、だいいち寺山修司の作品を読んだことも舞台を観たこともありませんでした。ただ、あの白塗りの人たちの異様な姿と悲しみの表出に、子供ごころになにか、ひとつの大きな時代が終わったのだ、ということを感じたように思います。

寺山修司との再会は、中学生になってから。当時演劇少女だった私は、万有引力の舞台なんかをきっかけに、寺山修司を知ることになります。だから、なつめにとっての寺山修司は、最初「アングラ演劇のひと」でした。

けれど彼の作品を読むようになるにつれ、彼の本領はやはり詩、それも短歌と俳句にもっともよく発揮されているのではないかと思うようになりました。ソネット、エッセイ、アフォリズム、童話、演劇、歌の歌詞と、さまざまな表現方法を持っていた寺山修司ですが、やはりこの初期の短歌や俳句にまさるものはない、という気がします。

なので、その中でも特に代表作と呼ばれる作品を多く収めたこの詩集は、ただ一冊で寺山修司を知るにはもってこいの本だと思います。もちろん、ここからはじめてその他の多くの作品にも手を出してもらいたいですが、でもどれか一冊だけ、といわれたなら、迷わずこの本をお薦めします。

『われに五月を』というこの作品が、作品社から最初に刊行された年、寺山はネフローゼで絶対に助からないと医師から宣告された状態でした。このような稀有な才能に対して、一冊の本も残させずに死なせてはならないと、中井英夫が出版社に強くはたらきかけて刊行されたものだったそうです。

それだけに、この作品集には彼の十代の才能のすべてが詰め込まれたようなところがあり、軽やかでありながらピアノ線のように鋭く切り裂く十代特有の痛ましさが同居しているような感じがします。

思潮社版の表紙は、本を広げた形の、寺山の墓碑。そして最初のページを繰ると、寺山の遺影に薄い透け紙で、寺山の実母ハツの言葉が重ねられています。

『五月に咲いた花だったのに 散ったのも五月でした』母


寺山修司の命日は、五月四日。この思潮社版の発行日は、命日にあわせた五月四日となっています。なつめの持っているのは1986年出版の再版のものですが、初版だけでなく再版も、五月四日の命日を発行日としているあたりに、出版社のこだわりが感じられます。

関連URL:
寺山修司記念館】…青森県三沢市にある記念館。

寺山修司の軌跡】…テキーラ@たしろさまサイト。作品一覧、年表、フィルモグラフィーなど。

TERAYAMA LAND】…CD、グッズ販売など。


posted by なつめ at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | おとなが読む本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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