2015年11月23日

おやすみ、とらさん。

今年最後の文楽ツアーで大阪いって、風邪ひいたまま息子のガッコの文化祭に出たりしなきゃならなかったりしてこじらせまして、結局この連休は出かける予定も全部キャンセルしてダウンしていたのですが、そのタイミングを狙っていたかのように、うちのねこさん、とらさんが、満22歳で老衰で亡くなりました。

torasan.JPG

これは亡くなる半日前のもの。

とらさんって本当に20歳すぎてもかくしゃくとしていて、25歳ぐらいまで生きるんじゃないかと思うぐらいだったんです。この夏休みの間はずっとばあばと一緒におやまのおうちに避暑にいっていて、その間は二階と一階の階段も毎日元気に上り下りして、東京にいるときよりもたくさんご飯も食べて、すごく元気だったものですから。

でも、秋になって東京に戻ってきてから、ぐっと動く量が減って、ご飯を食べる量も減ってきて、なんだか椅子にあがるのがしんどそうだねぇ、とか、トイレの段差を超えるのが大変そうだねぇ、という感じになってきて、いよいよ老々介護に突入かしら、なんて母が言い出したばかりだったのですが。

先週は、私も母もそれぞれ別に旅行に行っていたのですが、それが帰ってきて、あと、これまた寮に入り浸りでめったに家には寄り付かなくなっている息子が、学校の行事で地方に行った帰りにひょっこり実家に顔を見せた翌日、お見舞いにきた母のお友達と家族に見守られて、とても安らかに息を引き取りました。本当に絵に描いたような大往生でした。

亡くなる1ヶ月前ぐらいから、食事をしてからお気に入りの椅子に座るたびに、何故か壁のほうを見てわおーん、わおーんと大声で吼えるような感じでお喋りするようになりました。そっちの壁には亡くなった父の肖像がかけてあるもので、母と一緒に「あれはなんだろうねぇ」「お迎えを追い払ってるんじゃないのかしらねぇ」「生まれたばかりと死ぬ前には見えないものが見えるっていうからねぇ」なんて言い合っていたのですが、実際そうだったのかも知れません。最後の夜も、椅子に飛び乗ってから、しばらく壁のほうを見てたな。

この年齢ですごいなと思うんだけど、寝たきりっぽい感じにはならないままで逝きました。えさを食べる元気はなくなっていたけど、でもお膳まで自分で歩いていって、座ってお水を舐めたり。少し歩いては疲れるのか途中で座りこみ、それからまたヨロヨロ歩いて椅子の近くでまた休憩。しばらく力をためてから、よっこいしょと椅子によじのぼり、それからめちゃくちゃ時間をかけて、そーっと横になる、というのを繰り返してました。座るときは左脚が痛いようで、えらく慎重に動いていて、触ると左脚の肉球だけほかより冷たい感じがしました。でも、異変らしい異変はそれぐらい。

亡くなる前の晩は、居間のお気に入りの椅子に横になって、目だけで人を追っていました。ときどき酷く甘ったれた声でみゃーと鳴いて、喉や耳をかいてもらったりすると、目を細めて喜ぶのですが、元気だった頃のようにゴロゴロ喉をならしたりはせず、ただ人の手を枕にしたり、ぽんと手の上に自分の前足をのせてきたり。あまり甘えっ子ではなかったのですが、珍しくとらさんのほうからアクションを起こしてくる感じでした。

あと、何がすごかったって、息子が久しぶりにきて張り切ったのかわかりませんが、ずっと登れなくなっていた、以前のお気に入りの椅子(晩年最後にお気に入りだった椅子より、少し座面が高い)に、ひょいと飛び乗ってみせたんですよ。この椅子には、夏過ぎてから一度も上がっていなかったのです。後ろ足が弱って、まっすぐ歩けないぐらいだったのに。すごいすごい、えらいえらいと皆で褒めたら、少し得意そうに見えました。

猫=寝子という言うだけに、元気な頃には1日の大半は眠って過ごしていたのに、弱ってからは横になっていても、ぐっすり眠らず目を開けっぱなしにしていることが多くなりました。こっちは逆に「し、死んでる…?」とドキっとするけど、台所でまな板と包丁の音がすると瞳孔が少し縮んだりするし、人が動くと、それにあわせてときどき視線が動きます。済みなれた部屋をお気に入りの椅子から見る様子は、生きている最後の時間を味わっているように見えました。

どう考えても老衰なので、病院には連れていきませんでした。わあわあ鳴いて大騒ぎしてショックで心臓とまっちゃうのも嫌だし。子どもの頃買っていた犬は、晩年呼吸器が弱って動くたびにゼエゼエするようになり、薬や注射をいっぱいされて、それでかえって弱って死んだようでした。亡くなるときも強心剤とかいっぱい打たれて、蘇生のために心臓をガンガン叩かれて、もういいです、やめてください、と叫んでやめてもらったのです。それに比べると、理想的な老衰死っていうか、とても穏やかで、自分もこんな風に死にたいなぁと思った。

ほんとうに見事な最期だったなぁ。亡くなる前には、お気に入りの場所ぜんぶ(椅子、ベッド、絨毯、風呂場)に挨拶するように、やすみやすみ、部屋の中を自分の足で一周してまわったそうです。最後の一回だけ立ち上がる力がなくて粗相してしまったけど、それ以外のトイレはぜんぶトイレまで自分で行ってやり、眠るように逝きました。

とらさんは、生まれて1週間ぐらいで親とはぐれたか捨てられたかして、道のど真ん中に一匹でみゃうみゃう鳴いていたところを、当時大学院生だった私が拾ってきて20年以上、完全な家猫だったので、すごく長生きでした。幼かった甥っ子や、とらさんより後に生まれてきた弟分の息子に、しっぽを引っ張られたりこねくり回されたり追い掛け回されたりしても、じっと辛抱して引っ搔かず、お客さんの大型犬はシャーッと威嚇して怯えさせ、父が亡くなってからは母のよき同居人でした。ジャムの瓶にお湯をいれて湯たんぽを作ってやったこと、注射器でミルクを飲ませたこと、虚勢手術をしたらあまりに大声でなくので、「他の子が怖がっちゃうので連れて帰ってください」って入院予定だったのに家に帰されちゃったこと、小さい頃は水嫌いのくせにお風呂場をのぞきにくるのが好きで、風呂桶のふちから手を突っ込んでは「あーやだやだ、ぬれちゃった!」という顔をして逃げ帰っていたこと、枕をあてて寝たがるので、冬は耳元でゴロゴロ言われて私はちっとも眠れなかったこと…いろんなことを思い出します。

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写真は、3年ほど前のとらさん。親ばかを差し引いても、とてもハンサムな猫でした。

人生の半分を一緒に過ごした相手で、考えてみると、家族よりも恋人よりも、私と一番「うまい距離」で付き合ってくれるひとでした。ひとじゃないけど。甘えすぎず、頼りすぎず、でも自分の場所とか権利は主張して譲らず、私が甘えたいときは知らん顔で、でも寒くなれば膝に乗ってくる。食事をしていると、一緒に食卓を囲もうとするかのように、自分用のちゃぶ台の前に座ってご飯を要求する。遅く帰るとぶつぶつ文句を言うけど、もっと遅く帰ると無視、だとか。この、干渉しないけど甘えないわけじゃない、みたいな距離感は絶妙で、彼は一番理想的な恋人だったかも知れません。

母ももう良い歳なので、新しくペットは飼わないだろうと思います。私も今の仕事の具合からすると、相手をしてやる時間がないのに飼うのはかわいそうなので、当分ペットは飼えないでしょう。小さな温もりに家族がどれだけ慰められてきたことかと思うと寂しいけれど、たぶんそうなるでしょう。

本当にいいご縁だったね、と思うのです。ガリガリでノミだらけで目ヤニで目が塞がっていた仔猫のお前にとっても、こんなにも長く一緒に暮らすことを想像もしていなかった私たち家族にとっても、ね。22年間、ありがとう。おやすみ、とらさん。
タグ:日記
posted by なつめ at 23:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 日々のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めてコメントさせていただきます。
ドンへペンです。
とっても良い記事で、泣けました。。
うちの子もまだ1歳半ですがとらさんみたいに長生きして、その時が来たら穏やかに苦しまずに眠ってほしいです。
とらさん、安らかに。。
Posted by ポン太 at 2015年12月03日 04:50
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