2005年11月08日

待つ、ということ…『ムーミン谷の十一月』

カテゴリ的に子供の本にするか大人の本にするかちょっと迷ったりもしたわけですが。子供も、大人も、というよりは子供は子供として、大人は大人として、という本だと思います。子供向けを装いながら実は大人に媚を売っているような、ちょっとあざとい流行の絵本とは違って、子供は子供として、大人は大人として。その年齢年齢に応じた読み方で、この本を読むのでしょう。

なので、今オトナになった私としては、おとなが読む本のカテゴリに分類してみました。実際に、子供の頃読んだときにはなんだか暗いなあ…という印象だったのが、大人になって読み返してから、目からウロコが落ちるようにひきこまれたという経験のせいでもあります。

今が11月だから、って訳でもないのですが、私がシリーズの中で一番好きなのが、この一冊です。


『ムーミン谷の十一月』トーベ・ヤンソン著
鈴木徹郎訳(講談社・青い鳥文庫)

ムーミンシリーズの一作でありながら、この物語にはムーミン一家が出てきません。登場するのは、それぞれに悩みや孤独を抱えながら、ムーミン一家にその心を癒してもらいたくて、一家の家にそれぞれやってきた、登場人物たちが、不在のムーミントロールたちを待ちながら、奇妙な共同生活をはじめる、というのがストーリーのあらまし。

癒しや救いを求めてやってきた彼らは、それぞれに、ぎこちなく距離をおいたり寄り添ったりしながら、ムーミン一家を待ち続けます。けれど、一家は現れることなく、それぞれの悩みを抱えた登場人物たちはいつしか、その悩みや孤独を時間の流れの中にやがて自らの力で昇華させて、それぞれまた自分たちの場所に帰っていきます。

彼らが待ちわびていたムーミン一家は、小説のラストシーンにいたるまで、ついに現れることはありません。最後の最後のページになって、ようやく海の彼方に一家の乗ったヨットが小さく見えるのを、一番最後に残ったはにかみやのホムサ・トフトが見つけるシーンだけが、彼らの登場シーンであって、台詞すら与えられていません。

つまりこれは、徹底した救いの不在を、ただ待ち望むことについての物語、と言うことができるでしょう。

ムーミン一家の不在と満たされない気持ちを、自分たちの理想化した一家の生活の再現によってなんとか満たそうとする登場人物たち。主のいない家で共同生活をはじめる彼らは、ぶつかり合い、ときに傷つけあいながら、やがてパーティーを開きます。そしてそのお祭りが終わるころ、ひとりひとりがそれぞれのやり方で、自分の囚われていたものから目を覚まして、元気を取り戻していきます。そして穏やかな別れをもって、それぞれに冬ごもりの支度をはじめるのです。

不思議な、不思議な物語ではあるけれど、人生の真実をこれほど如実に語っている小説もまたないのではという気がします。

Heaven helps those who help themselves. 天は自ら助くる者を助く。

彼らはとにかく自分の孤独を癒し、問題を解決してくれるのは、ムーミン一家だけだと信じてその家に集まってきます。でも結果的には、一家が帰ってくるより前に、彼らは自分たちの問題を克服してその場所を去っていくのです。何かこれといった天の啓示があるわけではありません。ただ、じりじりとしながら彼らは時を過ごし、無駄な努力を重ね、そうして時が満ちたときに、自らの幸福に気づいていくのです。

最後まで谷に残り、ムーミン一家のヨットを見つけるホムサ・トフトでさえ。そのヨットを見つける前に、自分の答えを見つけるのです。

 ホムサは、ムーミンたちに会いたい、会いたいと、ずうっとゆめみていました。あまり思いつめて、くたびれてきたほどです。ムーミンママのことを考えるたびに頭痛がしました。やさしくいたわってくれる、申しぶんのないママが、ホムサの頭の中に、すっかり出来上がっていました。ですから、ママのことが、顔のないすべすべした、まるい大きなふうせんみたいにしか思い浮かべられないのが、せつなくてたまりませんでした。


…そしてホムサは森の中に駆け込みます。昼も夜も暗い森の中をさまよいながら、ホムサはやがて、その観念から次第に解き放たれていきます。

 
 ホムサ=トフトは、森の中を、おくへおくへとはいっていきました。なんにも考えないで、枝の下のからだをこごめてくぐりぬけたり、はったりしちえるうちに頭の中が、あの水晶玉とおんなじようにからっぽになりました。そうだ。ムーミンママは、くたびれたり、はらがたったり、がっかりしたり、ひとりになりたいときには、あてもなく、はてしなく薄暗いこの森の中を歩きまわって、しょんぼりとした気持ちをかみしめていたんだ……ホムサ=トフトには、まるっきりいままでとちがったママが見えました。するとそれがいかにもママらしくて、自然に思えました。ホムサは、ふと、ママはなぜかなしくなったのだろう、なぐさめてあげるのにはどうしたらいいのだろう、と思いました。

…『ムーミン谷の十一月』トーベ・ヤンソン

(鈴木徹郎・訳/講談社青い鳥文庫版より)


引用が長くなりましたが、つまり最後に残ったホムサでさえも、自分が慰めてもらうことのかわりに、「ママをなぐさめてあげるにはどうしたらいいのだろう」という思いを、自分の心の中に見つけることになるのです。

トーベ・ヤンソン女史は、決して皮肉屋なんかではなくて。ただ経験的に、生きていくことの秘密を知っていたから、こんな物語を書いたのだと思う。悩んで苦しんでのた打ち回ること。往々にしてそれは、他人からみたら滑稽なことで、そこから抜け出そうとする努力の多くは、結局のところその瞬間には役に立たない。けれど、やがて時は満ちて、人は自らを満たす方法を身に着けていく。だからこそ直接的な救いが「不在であること」が、必要なのでしょう。

どうしようもなく不幸せで絶望的な気分になったときに。ただ時を待つことの力を教えてくれる物語です。そしてそのラストシーンに、遠くに見えるムーミン一家のヨットの影が、この物語の作者の優しさを際立たせているように思います。

知りませんでしたが、今年はムーミンが世に出てから、60周年の記念の年なんだそうです。

ムーミン公式サイト】…若干コマーシャリズムの匂いがしますが、作者のトーベ・ヤンソンさんやフィンランドについての紹介ページもあるので楽しめます。

ムーミンといえば岸田今日子さんのあの声を思い出してしまうアナタも是非。この原作の荒涼とした、でも暖かな世界に触れてみてくださいね。


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posted by なつめ at 02:21| Comment(3) | TrackBack(0) | おとなが読む本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 中学生の頃「楽しいムーミン一家」と「ムーミン谷の彗星」ほか何冊か読みました(もう記憶にうすい…)アニメのムーミンのイメージとはかけ離れた、水木しげる的なものを感じたのを、今でも覚えています。ムーミンってこんなに「怖いイメージ」の本だったんだ〜、と。

 大人になってから読み返すのもいいですよね。
今度読もう。
Posted by LIVE at 2005年11月08日 06:16
ムーミン谷シリーズは、遥か昔に、兄が持っていたように記憶しています。アニメを見ていた私は、その本の絵がちょっと怖くて、紐解けなかったのを覚えています。ファンタジーや空想の世界が大好きな夢見る夢子ちゃんなのに。(←空想壁があるので赤毛のアンシリーズを中学の時に一気読みした)

・・・・読んでみようかな。
Posted by あいら at 2005年11月08日 10:07
LIVEさま:
そう、私も子供のころ、はじめて読んだときには、テレビのムーミンとあまりにイメージが違って、よく分からなかったんです。なんだか、その時々によって感情移入するキャラクターも違うし、大人になってからも、何度でも読める作品だと思います。是非読んでね。

あいらさま:
原作のムーミンは目がちょっとうつろで本当にトロルの感じですよね。ミイも可愛くないし。だけどこの年齢になると、どれもまた愛らしくみえてくるから不思議です。

トロルだの妙な生き物が満載という意味ではファンタジーなんですけどね。読むほどにリアリティがあって。是非、シリーズ紐解いてみてください。
Posted by なつめ at 2005年11月10日 01:47
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