昨日(日付変わったんで一昨日)は、渋谷のアップリンクで、この映画を見てきました。
「
ファルージャ―イラク戦争 日本人人質事件 そして…」
ドキュメンタリー映画です。若手監督を支援するプロジェクトの出資で作ったのかな。伊藤めぐみさんという女性監督の作品。Twitterで流れてきてふと思い立ってみてきたんですが、アップリンクっていうのはなかなか面白い劇場で、せいぜい30〜40人ぐらいしか一度に入れないミニシアターなんですが、面白い映画を色々やってるんですよね。場所は渋谷の文化村の裏手あたりで、一階には美味しい自然食系のレストランもあります。
予告編動画はあんまりいい出来ではありません。映画の雰囲気はこんなにおどろおどろしい感じじゃないので。もう少し淡々としたドキュメンタリーです。小泉政権時代に起きたイラク戦争、そしてその中で行われた自衛隊の海外派遣、「アメリカの仲間」として日本人が拘束された
ファルージャ人質事件と、その後の「自己責任論」バッシングと中傷の嵐。その集団リンチを経て、当事者たちは現在をどう生きているのか。また、日本人にとって「終わった」戦争であるイラク戦争の舞台となったその国では、今何が進行しているのか。若干盛り込みすぎではありますが、あの戦争をリアルタイムで知らない若い世代の人にも、一通りのことがおさらいできる作りになっています。
演出とか編集には稚拙さがあって、ぶっちゃけ素人臭いです。でも、そのへんのマイナス点は、なんにしてもこの監督が、カメラ持って現在のイラクに飛び込んでいって、今のイラクとそこに関わる人たちの姿を撮って帰ってきて公開した、という一点で相殺されるんじゃないかと思う。というような映画でした。
最初のほうの事件おさらいは、当時をリアルタイムで知ってる私ぐらいの世代だと冗長に感じますが、もう10年経ってるので若い人が見るにはこれぐらい必要かなと思う。イントロダクションのあとは、当時人質となって拘束され、現在もイラクで医療支援活動を行っている高遠さん、また当時最年少の18歳で拘束され、現在はNPOを立ち上げて、通信教育学校の若者たちの支援活動をしている今井さんの現在を追いつつ、米軍が使用したと思われる劣化ウラン弾による赤ん坊の奇形の問題、米軍が撤退した現在も内戦状態が続き、不安定な政情の中、多くの人が命を落とし続けるイラクの現状、また人質事件当時巻き起こった「自己責任」論とバッシングについて、当時の報道関係者まで取材してまな板に載せている。
監督自身が当時高校生ながら反戦デモに参加したりしていた女の子だった、ということで、ある種のバイアスはありますが、それでもそういう色眼鏡で見て避けてしまうのはあまりにもったいない映画です。正直、こういうものは20〜30年ぐらい前だったら、テレビがいいドキュメンタリーを撮ったんじゃないかと思う。でも、今のテレビは本当にダメです。深夜ですら、こういう野心的なテーマを選び、誰も知らないことを、誰も行かない場所にいって取材してこよう、っていうドキュメンタリーがなくなった。だからこういうものを見たいと思ったら、めんどくさくても劇場まで足を運ぶしかありません。そしてこの映画は、「作品」としての出来はイマイチでもやっぱり人に見られるべき素材だと思いました。
当時を知らない若い人はよくわかんない話だと思いますが、「自己責任」という今おおはやりの言葉は、このとき出てきたものだと思います。この言葉はその後、あらゆる場面で拡大解釈されるようになって、今やちょっとでもマジョリティと違うことを選んだ人は、そのことによって生じる不利益を『全部自己責任だから自分でなんとかしろ』といわれかねない世の中になっているな、ということは皆さん感じているのではないでしょうか。
実験経済学の論文で、「
スパイト行為」(自分の利益を損ねてでも他者に罰を与えようとする行為)に関するレポートがあって(ちょっと古い。2006年のもの)、それを読んだときに私、ああ、まったくその通りだ、と思ったんですけども、日本人と米国人のグループを対象とした実験で、簡単に言うと、「日本人はそのことによって仮に自分自身も損をすることになるとしても、他人が得をすることを妨害したがる傾向が有意に高い」という結果が出た、っていう話なんですよね。
海外で犯罪に巻き込まれたときに、国が自国民を守ってくれる、ということは本来どの国民にとっても利益となることなのですが、「お前を助けるためにこれだけ金と労力がかかった、弁償しろ」と言う人たちは、自分がそういう立場になったときには同じように弁済を迫られるリスクがあるにも関わらず、この助けられた人たちを全力で叩きのめそうとする。落ち着いて考えるとどうかしてる話なんですが、この論理の応用はいたるところに見られます。
たとえば、今冬季オリンピックをやってるわけなんですけども、これでメダルをとれなかった選手に対して、「国費を使っているのに税金泥棒」とか言い出す馬鹿が出てくる。マジかと思うのですが、出てくる。でもここ、お金かけなきゃとても個人のまかなえる金額じゃオリンピックに出られるような海外遠征もできないし、となると今度東京に来るっていうオリンピックの招致だってできっこないわけです。私は基本的にオリンピックなんか来なくていいよと思ってるほうなんですけど、来たら経済潤って万々歳とか言ってるような人が、何故メダルとれなかったぐらいで選手が「国賊」みたいなことを言い出すのか?
私は結構どれもこれも、あの事件のときに、国が「自己責任」論を持ち出して、彼らを「何も考えずに危険地域に行って国から助けてもらった、国家にとって存在することじたいが迷惑な人間」である、という扱いをすることによって、多くの誤報やネガキャンも鵜呑みにした人たちによる集団リンチを先導したからだ、と思ってるんですよ。
「国民は国家に迷惑をかけるな」というのを国が言い出したらこれかなり末期です。マイノリティは死ねといってるようなものだからです。イノベーションを起こすのは、常にマイノリティであるにも関わらず、それを叩き潰していったら、進歩や前進なんか起きないんですが、秩序維持を最優先とする
全体主義者たちはそれでもその崖っぷちに国民を追い込もうとする。
今アベシンゾーが憲法変えなくても解釈変えれば自衛隊は海外派兵できるとか言い出してますが、ファルージャの人質事件が発生したそもそもの理由というか原因は、戦争が始まるや否や小泉首相が、つまり海外から見れば日本という「国が」アメリカの戦争を支持しますよ、と世界に向けてアピールしたことです。イラクの国民が「平和主義だと思っていた日本人が、自分たちの敵であるアメリカを支持した、ピストルを持った軍隊を送り込んできた、彼らはなんの罪もない民間人を沢山殺しているアメリカの仲間だから、この殺戮の責任は日本人にもある」と解釈したことが発端なのであって、あの時期ゲリラに拘束された日本人はそうした国の方針によって拘束され、または殺されたわけです。
そして、その方針決定について「責任」があった当時の政治家、官僚に対しても、監督は取材を試みるのですが、誰1人として取材に応じない。その部分まで映画の中に入れたのは、なかなかぐっじょぶでした。
ダラダラ長くなりましたが、要するに現在も続いているイラクの戦争は、我々ひとりひとりが好むと好まざるとに関わらず、首長にしてしまった人間が「日本はその戦争を支持する」と世界に発信したが故に、その結果に関しても我々国民ひとりひとりに責任があることになってしまった、っていうことです。おそらくは劣化ウラン弾の放射線が原因で、心臓が身体の外にある赤ちゃん、頭が二つある赤ちゃん、そんな赤ちゃんたちの姿を私は、この映画の中で見てきました。あの赤ちゃんたちの死に対して、私は「責任」がある。それはうすっぺらな「自己責任」論における「責任」なんかとは比べ物にならないような重たい責任だと思うのです。
開戦理由とされたイラクの大量破壊兵器は発見されませんでした。そして今、アベシンゾーとその取り巻き連中に支配された政府広報テレビ(NHK)は、北朝鮮の危機について煽り立てる報道を繰り返しています。このことについて、国民の「責任」の本質とは何か、有権者はよくよく考えねばなりません。
しんどい映画ですが、現在も医療支援活動を続けている高遠さんのバイタリティ、若い今井さんが若者支援という新しい形の社会貢献の道を見つけて進んでいく姿に、元気づけられる映画でもあります。上演はもうしばらく続くらしいので、お時間ある方は是非どうぞ。